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Nan Jombang Dance Company 南喬幫舞踏団

983年Ery Mefriにより設立。Nan Jombangという名前は、Ery Mefrinによる最初の舞踏Nan Jombangから付けられた。Ery Mefriはインドネシアジョグジャカルタ王国の伝統舞踏家系であり、とても歴史のある伝統舞踏の基礎を持っている。それに西スマトラ島のMinangkabau族の伝統文化と現代舞踏の概念を組み合わせた独特な作品だ。作品の哲学思想は、自然は我らを導く師である、としており、西スマトラ島Minangkabau族が伝統と現代の間で直面する問題点を探求する。舞踏団は世界各国、そして幾多のも重要な国際芸術イベントにて演出している。その中にはアメリカノースカロライナ州ダラムとニューヨークの舞踏祭、そしてSTSI Padang Panjang現代舞踏祭;国家振付フォーラムに三度参加;インドネシア、アメリカ、韓国、そして2012年にはシンガポール、オーストラリア、アメリカにて演出している。

Nan Jombang Dance Company

放逐の呟き

踊りはミナンカバウ人(ミナン人)に由来するもので、インドネシアのスマトラ省高地に住む原住民、パダン人とも呼ばれている。母系社会の文化で、財産と土地は娘に伝承されるが、宗教と政治は男性がメインだ(むろん、この領域で活躍している女性もいる)。パダン人は主に西スマトラ省、インドネシア、マレー半島に住んでいる。踊りのインスピレーションは、歴史の長いミナンの伝統から得た。男性方は諸島の間を絶えず移動し、お金を稼がなければ、故郷に帰れないのだ。

 

パダン人の社会において、移民は一種の伝統ともいえる。若い男性は自分の家庭と村から離れ、自らの活路を開いていく。

 

この作品はすべてのパダン人の物質的、精神的の伝承を結合し、さらに古き文化、新しき文化をも一つにした。ヨーロッパをはじめ、オーストラリア、アメリカ、日本など世界各国で演出している。

 

故郷、家族から離れる苦しみに耐え、彼らは将来の困難、生活の苦しみなどに耐えうる男に成長する。このサバイバル生活の中で、彼らもまた、パダングルメをインドネシア各地に広める要素となった。

 

パダン人の座右の銘は:「どこにいても、そこに溶け込め、そこが自分にとって新たな家となるまで。」

 

振付: Ery Mefri

ダンサー: Angga Mefri, Rio Mefri, Intan Mefri, Ririn Mefri, and Gitra Miranda

芸術総監: Ery Mefri

ライトデザイナー: Ricco Syaifularif Fadhillah

マネージャー: Angga Mefri

2018月光.海/六月份/演出團隊